写真展

鶴崎燃さんが「海を渡って」で第11回三木淳賞奨励賞を受賞されたことはこの日誌でもお伝えしました。
2007年、鶴崎さんが「中国帰国者の方たちを撮りたい」と当会に来られました。若いカメラマンがこの問題を題材にされることは、少し意外でしたが、とても嬉しいことでした。
長野県や中国にも取材、撮影に行かれました。会の事業にも参加され、帰国者の方たちの話に耳を傾けられました。
この問題は何なのか…と、一つ一つ探りながら撮影を続けられ、「切り捨てられた過去と現在」という歴史の不連続性を見事に映し出しました。
その写真展を今回、早くから帰国者問題に取り組んできた歴史のある三鷹市で地域生活支援事業として開催します。まだこの問題に出会っていないという方にも、この機会にぜひ見ていただきたいと思います。
現在も確かに存在している私たちの国のこの問題の本質を、鶴崎さんのこの作品をとおして一緒に考えていければと願っています。
詳しくはコチラをご覧ください↓
http://www.kikokusha.com/images/20100308photo/20100308photo.pdf

忘年会

毎年行ってきた忘年会、今年は中国帰国者の人たちが中心になって企画、運営した。会場は三鷹市公会堂の会議室。押し詰まっての開催となったが、150人ほどの参加者があり、帰国者手作りの料理と中国の音楽、歌や踊りを楽しんだ。
地域生活支援事業がきっかけとなり、地域で楽器演奏などの活動を始めた人たちが、日ごろの練習の成果を発表した。楽器はアルトサックスやフルート、ギターなど、中国で練習していたが、帰国後は演奏する機会がなかった。地域生活支援事業をきっかけに、音楽を趣味とする人たちが出会い、グループを結成して練習をはじめた。今回、その成果を発表した。
また、憩いの家に毎月集っている高齢の元「残留婦人」のかたたちが、盆踊りや歌を披露した。

写真展(続き)(2009年12月8日〜14日開催)

パンフレットから引用


「海を渡って」 鶴崎 燃 (TSURUSAKl MOYURU)


内容:満州国の存在は歴史の教科書で習い、中国残留邦人のことも作者は子供の頃からニュースで知っていた、しかし、中国残留邦人は異国の地となった場所に取り残され、何十年後かにやっとの思いで帰国できた時には、言葉や年齢の事情もあり、いい仕事が見つからない。多くの人が今も生活保護を受けなければ生活できない状況だ。二世、三世の問題もある。
 一方で、中国には今やたくさんの日系企業が進出し、多くの日本人が海を渡っている。かつて日本人によって造られた街や建物があちこちに残る満州国の地も例外ではない。
「かつて海を渡った人の今」
「今、海を渡った人」
 同じ時間に存在するこれらが、どうも繋がって見えない。過去が切り捨てられてきたからではないか。国が積極的にこの問題に取り組んでこなかったため満州国の後遺症は個人に押し付けられている。
 過去の経験は共有し、未来へつないでいかなければいつかまた何か別の形で後悔する時が来るのではないだろうか。


授賞理由:中国残留邦人の帰国後の生活と、中国北東部、かつての満州国に今も残る当時の面影やその地で働く日本人の若者たちの姿を並置させた「海を渡って」は、満州国の存在からは遥か遠くに隔たった写真家の、幻のようにあてどなく、しかし確実に存在した国家に対する真撃なアプローチの成果である。
 異国の地に取り残され、何十年後かにやっと日本に帰国できたものの、生活はうまくゆかず、高齢の身のうえや子孫の未来を案じながら暮らす人々の現実と、今や多数の日本企業が進出し、日本の若者たちが夢を求めて働いているかつての満州の光景、それらに繋りや関係を見い出せぬまま、二つを対比させる作者の眼差しには、二つの国の間の、あるいは過去と現在の間の途方もない亀裂に対する無力感や苛立ちとともに、見えない歴史を見ようとする意志が秘められている。


賞品:賞状と賞金10万円並びに副賞として、デジタル一眼レフカメラニコンD90,AF-S DXズームニッコールED18-70mmF3.5-4.5G(IF)


鶴崎 燃氏 プロフィール
1975年愛知県生まれ。中部大学土木工学科卒業。2003年名古屋ビジュアルアーツ写真学科卒業。卒業後1年間同校助手を勤め、その後写真家大石芳野氏の助手となる。現在大石芳野写真事務所に所属しながらフリーとして活動中。

写真展

5月にこのブログで紹介させていただいた鶴崎燃さんの「海を渡って」が三木淳賞奨励賞を受賞されました。

作品展は12月8日(火)から14日(月)まで、ニコンサロンbis(新宿エルタワー28階・ニコンプラザ新宿内)で開催されています。どうぞごらんになってください。
http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/news/index.htm

外国人支援団体との交流会(東京弁護士会主催)に参加 その②

11月13日、東京弁護士会主催、外国人支援団体との交流会に参加。「改定・在留特別許可に係るガイドライン」の概要と問題点についてのお話を伺った。
法務省は本年7月、不法滞在者に対する在留特別許可のガイドラインについて見直しを行った。改定ガイドラインでは在留特別許可の判断のための積極的要素、消極的要素が、細かく具体的に挙げられている。
在留特別許可が「恩恵によって」許可されるものではなく、「特別な事情のある人がもつ人の権利として」許可するという判断がなされているかどうかが大切。たとえば、カルデロンのり子さんの場合、かわいそうだからではなく、日本で生まれ、日本で教育を受け、日本で暮らす権利があるから許可されたのだということだ。
中国帰国者の2世、3世の中にも中国国籍の人がいる。「中国残留邦人」の家族として日本に帰ってきた人たちだ。来日後の支援がほとんどなく、言葉も文化も違う日本で犯罪に巻き込まれたり、罪を犯してしまった人たちも、特別な事情のある人といえるのではないかと思う。
中国側から見ても、帰国者の家族として日本に帰った人たちが罪を犯したからと、送り返されることをどう思うだろうか。日本の中で犯した罪はきちんと日本の中で償い生活することを保障するべきではないだろうか。

外国人支援団体との交流会(東京弁護士会主催)に参加

外登法廃止−改正入管法の概要と問題点についての学習会、交流会に参加した。
入管法の改正により、市町村が交付していた「外登証」がなくなり、法務省が「在留カード」を発行し、同省が外国籍住民の情報を一括集中して管理することになる。身分事項、住居地、所属機関に変更があった場合には、14日以内に地方入管局に届けなければならない。所属機関からも所属している外国籍住民の情報を届け出ることになっている。

中国帰国者の家族にも中国籍の人たちがいる。1984年に改正される前の国籍法は父系主義だった。そのため、中国帰国者本人が女性の場合、その子孫は基本的に中国籍だ。帰化という方法もあるがそのハードルが高く、日本国籍を取得できない人もいる。
国が外国籍住民に対する管理を強化することは、マイノリティーに対する人権侵害だ。具体的にどのように実施されていくのか、注視していく必要を感じた。