9月に北京大に入学、「日中友好にかかわりたい」と言う「中国残留孤児」三世の女性(20歳)についての報道があった(11月9日中日新聞)。

9月に北京大に入学、「日中友好にかかわりたい」と言う「中国残留孤児」三世の女性(20歳)について以下のような報道があった(11月9日中日新聞)。
彼女は1994年来日し小学校に入学。日常会話は身につき、たくさんの友達ができ、楽しく遊んだ。日本国籍も取得した。しかし、中学校に入って状況が変化。日本人と中国人のグループに分かれ、彼女も周りから中国人と決めつけられ、「中国へ帰れ」と、何度も罵声を浴びせられたという。「私は私。何で中国の悪口を私に言うの」と悩んだが、中国出身の友達とかたまって授業をサボり、先生にも反抗。見えない差別のようなものも感じた。ところが、高校2年の春に受験した中国語検定で成績が良く、1カ月間、中国に留学できることになった。五つ星のホテルがある一方、路上で物を売る子どもを目にし、「あのとき初めて中国を知った」と彼女は言う。帰国後中国への思いが日増しに強くなり、昨年9月に北京大の予科へ入学。他国の学生と接する中で、14年間生活した日本のものの考え方、生活習慣が染み込んでいることに気がついた。「日本人でいいんじゃないか。」ようやく「自分」が確立。本年9月に北京大学に入学。将来は、「外務省か国連に入って、日中間の懸け橋になる」という夢をもつ。

この報道は、二世・三世の共通の悩みを指摘したものだ。こうした“いじめ”や差別が表面化されなくても、日常の“空気”で感じ、「自分は何者なの?」と悩む子どもや青年たち。この女性のように自らをみつめ、自分を取り戻すことができる人ばかりではない。先日聞いた二世女性の、「もう少しのところで、こちらの“輪”に入れたのに、入りきれなかった友達もいる」という言葉が心に残る。日本社会の中で“受入れてもらえない”という絶望の中で、犯罪をおかしたり、アウトローの世界に行ってしまう人もいる。
彼・彼女らの受け入れやサポートが、日本社会の課題だ。4月から始まった「地域支援」はその一環となれるように期待するが、単に「支援する」ではなく、問題は、多文化共生をどう実現するかという日本側にあると思うのだ。