写真展

地域生活支援事業として三鷹市で開催していた鶴崎燃さんの写真展「海を渡って」が昨日で終了しました。たくさんの方々がご来場くださいました。ありがとうございました。8日に開催した鶴崎さんと鈴木会長との対談に参加された方が寄せてくださった感想を掲載します。




「もし、あの時期に残留邦人の方と同じ立場に置かれたら、自分も何も考えずに満州へ渡っていたと思う。…現在、かつての満州の地で夢を求めて働いている日本の若者たち。とりあえず将来役に立つだろうと語学を学びながら、派遣社員としてわずかな賃金で働いている彼らを見ていると(昔と今と)何も変わらないのではないかと感じた。…」対談での鶴崎さんの言葉です。

私は、鶴崎さんの写真展を三木淳賞奨励賞受賞前後で2回見せて頂きました。写真の中に知り合いの姿を見つけ、自然と顔がほころんだり、なんともいえぬ空の色や、今も中国に残る朽ちかけた日本式の家屋に残留邦人の方々のご苦労を重ね合わせて思いをはせたり・・・しかし、屈託なくカメラに向かって微笑んでいる日本の若者たちの姿には、何ともいえぬ思い、説明できない何かを感じたままでした。

対談で鶴崎さんの言葉を聞いた時、あの若者達の微笑を見て感じた何ともいえぬ思いは、彼らの笑顔の裏に65年以上前の残留邦人の方々の笑顔を重ねてみていたからかも知れないことに気づかされました。当時、満州を目指して海を渡った時、人々はみんなこんな風に希望に満ちた笑顔をしていたのかも知れないと。過去と現在、私達は多くの犠牲を払ってたくさんのことを学んできたはずなのに、鶴崎さんの言うように、何も変わっていないのかもしれない。しっかり、ゆっくり写真を鑑賞していたつもりでしたが、私は鶴崎さんのメッセージを受け取る事ができていませんでした。

鈴木さんが、国は未だその責任を認めていないことについて語られた時、鶴崎さんは「そういった問題を解決した日本に生きていきたい。その為に、写真を通してできる事をしたい。」とおっしゃいました。私は、どんな日本に生きていきたいのか?その為に、私には何ができるのか?彼の言葉は、最後まで強烈に私の心に残りました。